「拝啓、先生」~佐藤光正さん(機械工学科)~
私は現在'身体に負担の少ない茶道具''トイレットペーパーをエアーでとりやすくする装置'の試作、'水槽を改装しポンプ一つで水生生物が生育しやすいビオトープ水槽作製の技術を広める活動'など相変わらずモノづくりを考えたり、実行したりしています。
思えば就職の時に、恩師が「礼奉公をしなさい」と学部に1年奉公のつもりが昭和35年から平成11年まで、その後5年間臨時で学部の機械科の教員として勤め、ほこりの立たない水の消費量も少ない水力式道路清掃機の実現化までもう少しでした。退職後、郡山工業青年クラブの経験を生かし、郡山地域テクノポリス機構と共にアドバイザーとして、6年間、企業の開発担当者を対象に様々な開発の相談を受けました。
学生時代(機械工学科9回卒)は、安保闘争(学生運動)の頃、昭和30年入学でしが身体をこわして31年は休学32年に復学、学生委員会委員長で様々な活動 をしました。また課外活動の発展にも力を注ぎ、茶道部などは部員40名という隆盛の時代でした。学生が急に増えた頃でしたが下宿屋さんも娯楽もなく、設計製図や実験の毎日でした。下宿(小原田)から、学部まで歩いて4,000歩、父の作ってくれた柳の下駄で徒歩通学しまたが、北海道の同級生が当時まだ珍しいエンジン付き自転車で通学していたのが羨ましかったのを覚えています。
人生には、青春時代に学んだ事を知恵を持って反復していくのが大切と思っています。今年も「母校を訪ねる会」で皆さんに再会できるのを楽しみにしています。