「拝啓、伏見先生」
伏見先生はご自身の事を「わし」とおっしゃいます。「私」や「俺」ではなくて専ら、「わし」「わしは」とおっしゃいます。
昭和54年の夏、私たち当時の陸上部は、第1回北日本学生陸上競技選手権大会への参加が決まり、顧問である伏見先生と部員の車2台に分乗して会場に向かうことに、部員の車は新型のスプリンターで、先生の車は愛着の感じられる大切に乗りこなしておられた旧型のスプリンターでした。学生たちには、やはり新型スプリンターの人気は絶大でした。
先生は、「わしの車には誰が乗るんじゃー?」とおっしゃいました。主将である私は真っ先に先生の車に乗り込みましたが、まだ席が空いていますし、新型スプリンターにもたくさんは乗れませんので、3年生の福田英明君(砲丸投げで大柄)が乗ることに。すると先生は、「佐藤と福田が、わしの車に乗るのかー?」「お前ら二人で4人分だ、わしの車を壊す気かー!ハハハー」と、大きな声で笑いながら出発しました。
大会は、東北・北海道地区のそれぞれの学連で選抜された選手だけが参加できる大きな大会でしたが、先生のお陰でリラックスして大会に挑む事ができ、4年生の私と1年生の高木浩之君が、それぞれハンマー投げと3000m障害で優勝できました・・・35年前のエピソードです。私は現在養護老人ホームで施設長をしており、地元の陸協の役員もさせていただいています。伏見先生これからもお元気で!(写真は昭和54年5月の陸上部新入生歓迎会)