ダイバーシティに富んだハイテク市場でキャリアを積む
電気電子工学科を卒業後、米国に留学、その後現地でフリーランスから出発し、大手IT企業でキャリアを積み、現在もエンジニアとして最先端の研究開発に臨んでおられる川原さんに、現在までを振り返ってお便りをいただきました。ありがとうございました。今後のご活躍をお祈り申し上げます。
~私は、1982年米国ボストン生まれ、東京育ち、2005年に日本大学工学部電気電子工学科を卒業しました。大学1年の時にアップルの初代iPodとiMacに一目惚れし、大学卒業後は米国に留学し、サンフランシスコにあるAcademy of Art Universityにて、工業デザイン分野で修士号(MFA, Master of Fine Arts)を修得しました。
大学院卒業後はフリーランスとしてSRI (Stanford Research Institute) においてメディカル・スクールの学生向けに医療器具を始めとする様々な3Dデザインプロジェクトに従事し、2014年、カリフォルニア州クパチーノにあるアップル本社にてアソシエイトとして就職し、主にiPhone、初代AirPods、初代Apple Watchの開発プロジェクトに携わりました。
Steve Jobsの意志を継いだCDO(最高デザイン責任者)であったJonathan Iveの退任がきっかけとなり、それまでアシスタントに過ぎなかった私も自分にしかできない仕事を見極めるためアップルを退社し、2018年、サンフランシスコのフランス・イタリア系の工業・建築デザイン企業、Gemmiti Model Artに3D CADの職を得ました。翌年、英国ロンドンで半年間、プロトタイプ製作とモデルメーキングの修行を行いました。
米国への帰国後、2020年にマイクロソフトにヘッドハントされ、シリコンバレーに開設されたキャンパスにて、シニア・プロトタイピング・エンジニアとして最新の3Dプリンタを駆使する複数の商品の試作に携わるようになり、現在に至ります。
マイクロソフトでは、視聴覚端末機のホロレンズが提供するARテクノロジー(Augmented Reality : 現実拡張)の商品開発を始め、AIを駆使して量子コンピューター(Azure Quantum Elements)の研究活動にも携わっています。そのほかにも、海外の大学や研究所との共同研究やプロトタイプの材料の再利用と生態系への影響の研究にも従事し、2023年からはソフトグッズ(生地製品)のクリエイティブ・チームも担当するようになりました。
アメリカでの工業製品の開発は、多種多様な人種のユーザのことを考えながら行う必要があります。一方で、これらの製品開発も様々な国籍のエンジニア、デザイナー、マーケターによる共同作業なので、英語を共通言語に(たまにスペイン語も使いながら)、コミュニケーションをとり、切磋琢磨しながらキャリアを伸ばしています。そのような環境に自らを置くことで、私自身も育てられていることを実感しています。
大学時代の電気電子工学の学業を始め、今までの経験をすべて活かせる現職にあることに誇りを持って仕事をしています。これまでに得た実践的スキルを後進に少しでも伝えたく、2024年からは、プロトタイプの授業を土曜に1コマだけサンフランシスコの母校の大学で受け持つ予定です。~
【写真:1、ホロレンズ2を使用してプログラミングをしているところ。/2、音響・超音波研究でお世話になった小林 力教授のおすすめで、コロナ禍の前の年に母のお誕生日のお祝いに世界自然遺産ヨセミテ国立公園へ行きました。/3、カリフォルニア州とネバダ州の州境のシエラネヴァダ山中にあるタホ湖。】