エンジニアとは無縁の道を続けて ~第10回日展「書」の部で入選~
福島県立テクノアカデミー郡山の教務課 建築科主任 指導員(テクノインストラクター)として勤務されている、佐久間啓さんは長年書道に邁進し、昨年10月の第10回日展「書」の部において入選されました。誠におめでとうございます。受賞の御報告を御寄稿いただき、御礼申し上げます。今後のお仕事と書道での活躍をご祈念いたします。
~いつも校友の皆様に大変お世話になり、益々有難みを実感しているこの頃である。
さて、話は変わり、昨年の10月に突然、公益社団法人日本美術展覧会(通称:日展)より第5科(書)の部門で入選の一報を受ける事態?となってしまった。しばらく時を経たが恩師 佐藤光正先生や千代貞雄先輩(工化30回)からのすすめもあり報告させて頂いた次第である。
私は、8歳から中学まで地元で書を習い、高校の時には特定の師を持たず、手あたり次第勉強した。中学生で師より「憬雲」を授号されたのが深く影響した。更に学部1年の時に無謀にも展覧会の出品を決意し、郡山市民展、福島県展、毎日書道展と良し悪しもわからぬまま挑戦してきた。
大学院時代に母校日大東北高で教鞭をとる機会に恵まれ、書道教諭の佐藤久雄氏(故人)と邂逅した。「地方では才能が埋もれる。共に東京で学ぼう」と誘われ、以後二十数年間兄弟のような関係で薫陶を受けた。 私は、生来の野人なのか手本になじめず、練成会や合宿で刺激を受け、時に技を盗み、独り学び、反故を重ね今に至る。
入選作は、敬愛する日本画家、東山魁夷の画集を眺めているうちに、添えられていたこの文章「冬は魔術師 湖を鏡に変えて澄み切った夢の風景を見せる」に目が留まり、毛の硬い黒山馬筆を握り即興で書いた1枚だった。後に数百枚書いても越えられず、提出作となった。無論、入選の栄に浴することになろうとは夢にも思わなかった。
専攻とも仕事とも関係ない道を、50年近く続けてきた。現在、毎日書道展審査会員(近代詩文書部)、創玄書道展二科審査会員(漢字部)等々の立場にある。実は、この立場も、日展では言わば野党に過ぎない。まさに狭き門を潜ってしまった。その意味で大変な事態だった。~
【写真:日展会場にて作品(中央)と/日本大学工学部校友会令和6年度通常総会で恩師:佐藤光正先生と】